2007年12月24日月曜日

またまた大竹伸朗

大竹伸朗さんの話 を通勤中聞く。

「どりゃーと叫んで飛び降りるおじさん」がいるらしい。
意味もなくがけから飛び降りることとを続けている人。
すでに3万回近く飛び降り続けている。
大竹さんいわく、物を作ることと同じものを感じる。信じられる。

大竹さんは芸術家なので、作品を作るときの理由付けのできない
情念が共通するということかな。

2007年12月9日日曜日

小学校時代の友達

 母の7回忌にて実家に。
龍勝寺にてお経を上げてもらったあと、私がかよった小学校のとなりの「橋本」にてみんなで昼食。
同時に3席昼食会が催されていたが、そのうちのひとつが小学校時代、仲のよかったやつの名前。
わりと珍しい姓なのでもしや本人かと思い、玄関先に集まっていた人達の顔を捜す。
いた。「○○じゃない?」。こちらは意識して捜してしたのでわかったが、相手のほうは
急に声をかけられ、すぐにはわからない。それぞれの宴席があるので急いで名刺だけ
渡して連絡を頼んだ。
 高校時代以降の友人は、今あってもその当時の互いの感覚は変わっていないが、
小学校時代となると、それがほとんどわからないということがわかりました。
必ず近いうちに、会おうと思う。

2007年12月7日金曜日

友 遠方より

 12月7日 友 遠方より。
思い起こせば、大学時代の友人で一番会っているのが、最も遠距離の友。
近いと どんどん遠くなる。
名古屋駅で飲んで、ビデオを見ようという話になって、我が家に招いたが、
ビデオ見出した直後、招いた自分が寝てしまった。

2007年12月4日火曜日

ハイビジョン特集 「秩父山中 花のあとさき ムツばあさんの秋」

タイトルに引かれて見た。

小林ムツさん(84歳)は夫・公一さんと、過疎の進む埼玉県秩父市吉田太田部で暮らしてきた。
夫婦で、先祖代々耕してきた畑を閉じながら、1万本以上の花やもみじを植え続けた。
「使えなくなった畑を放っておくのは申し訳ない。せめて花を植えて山にかえしたい」。
2006年秋、公一さんが肺炎のために亡くなった。ムツさんは、それからの日々をどう過ごし、
花畑はどうなったのか。晩秋、2人が植えたもみじが赤々と色づく。

山深く、村人は食うために急斜面に道をひらいて、頂上付近に棚田を作った。
公一さん酒好きで、飲んだ帰りの山道の途中、ススキがのれんに見えて、もぐりこんで寝てしまう。
帰ってこないのでムツさん夜中に迎えに行く。(これが大変な山道です。)
もみじは大木でした。